夢福神サイパン島をゆく (北マリアナ連峰:サイパン島)

  平成15年6月28日、ワシはついにサイパンの土を踏んだのじゃ。まずは国際空港でご遺族と旅行参加のおにいさん(ワシから見れば若いものじゃもの!)と先ずはワンショット。因みにこのサイパン国際空港は戦前、アスリート飛行場という、日本海軍の飛行場だったのじゃ。空港周辺にはコンクリートの防空壕や弾薬庫、日本軍の慰霊碑などが点在しておる。この空港を巡って、激戦が繰りひろげられたのじゃヨ。

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この碑が日本政府によって建てられた、中部太平洋の碑じゃ。この碑はサイパン島だけではなく、マリアナ、トラックなどの中部太平洋全域で散華した将兵や軍属、民間人を悼む場所となっておる。ワシらは29日、この碑の前で戦没者慰霊祭をおこなったぞよ。無論、この神道式の祭壇や神具、神主さんの装束などは、みな栃木から持っていったものじゃ。 神道のおまつりの供物(神饌)というと、米・酒・塩・水・海のもの(魚などの海産物)・山のもの(野菜、果物)じゃが、写真をみてわかるように、このおまつりでは缶詰めにタバコもお供えされておる。みな兵隊さんの好物じゃったからじゃ。

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祭典終了後、栃木県護国神社の禰宜さん達、軍属だった兄上をなくされたおじいちゃんと記念写真じゃ。おまつりの最中は暑かったぞよ。

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6月30日、神職さんのご案内で、ご遺族の方々と慰霊巡拝に行ったぞよ。先ずは第一ホテルのビーチから、ボートでマニャガハ島に渡ってみた。船の中でだっこだっこ。

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船を操るスタッフは、みなノリノリ。英語の苦手な神職さんが、ワシの説明に四苦八苦。じゃが、「ラッキー・デバイン」というとアンダスタンドしたらしゅうてな「おう、あいむべーりーらっきー」などというておった。そこで、わしをだっこすることを許してつかわしたぞよ。因みに、わしをだっこすると、みな福が授かるのじゃ!

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マニャガハ島というと、ビーチで遊ぶ観光客が行くところと思うじゃろうが、実は戦時中、日本海軍の砲台があったところなのじゃよ。島の中には15センチ平射砲2門をはじめ、壕や対空機銃、舟艇の残骸がのこされておる。砲のそばに、花と線香立てがみえるじゃろ。 マニャガハは慰霊の場所でもあるのじゃ。

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日本軍の陣地跡じゃ。恐らく防空壕じゃろうか。

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慰霊巡拝参加者みんなで記念写真。

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オレアイの海岸沿いに残された、日本軍のトーチカと、戦車じゃ。この戦車は97式中戦車と言ってのう、当時の我が国軍の主力戦車だったものでの、サイパンに配備された戦車第9聯隊所属の戦車ということになる。米軍上陸後、日本軍はこのオレアイをはじめとする海岸一帯に戦車による夜襲を行ったが、撃退されてしまったのじゃ。

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この鉄塊の中で戦った若者は、一体どうなったのじゃろうか・・・。

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ここはチャラン・カノアから一寸奥、北マリアナ大付近にある、黒木大隊玉砕地ぞよ。 ジャングルの中に、ひっそりとあり、案内板も出ておらぬので、見つけるのに苦労をしたじゃ。

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黒木大隊の戦没者を記した碑の中に、栃木県出身の兵隊さんの名前があった!!もはやなにも言うことはできなくなってしまったヨ。

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