栃木県護国神社の由緒


宇都宮招魂社の創建

栃木県護国神社は、靖国神社や全国の護国神社と同じく、国家公共に尽くされた英霊に感謝するとともに、郷土・国家・世界の繁栄と平和、人々の幸福を祈る場です。
栃木県護国神社の前身「宇都宮招魂社」は、明治5年(1872)年11月に、旧宇都宮藩知事(最後の藩主)戸田忠友をはじめ旧藩士・有志の人々により創建されました。当初の御祭神は、戊辰の役に殉じた従三位戸田忠恕公(旧藩主)及びその臣下等96名の、97柱の英霊です。明治8年4月に、太政官布達第67号により、戊辰の役殉難者は国家が祀ることとされ、官祭招魂社となりました。以後宇都宮招魂社は、西南戦争・日清戦争・日露戦争など数々の戦役における栃木県出身の殉国の英霊も、併せてお祀りしています。この間、明治9年6月には明治天皇御巡幸に際し金幣のご奉納を受けています。また下って大正7年11月15日には、陸軍特別大演習の際、勅使御差遣参拝がありました。

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慰霊碑
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社殿前庭
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参道

宇都宮招魂社の展開

宇都宮招魂社は宇都宮市馬場町字表尾山、即ち二荒山神社に接する高台に鎮座し、その社務も戸田忠友以降、歴代の二荒山神社宮司の職掌でした。また毎年四月には、県の行事として、宇都宮城址で大規模な招魂祭が営まれておりました。

昭和14年、内務省令第12号(3月15日公布・4月1日施行)により、全国で33の招魂社が護国神社と改称されるに伴い、当社も栃木県護国神社と改称いたしました。更に栃木県を挙げての皇紀2600年記念事業として、用地献納や県下各地からの多くの寄付金を受け、市内一の沢町に造営された境内地に、昭和15年4月29日遷座しました。これが現在の境内地です。社殿・施設の設計は、東京の国粋建築研究所(二本松孝蔵所長)が行いました。拝殿における祭儀進行を、広い境内地の端の方からも望むことが出来る、護国神社としては一般的な様式に基づいています。また今日、参拝者を包むように拡がる護国の森は、この時県下一円より献木された樹木が、半世紀以上の時を経て成長したものです。特に春には満開の桜が、参拝の方々に喜ばれております。

戦後の歩み

大東亜戦争終戦後、GHQ占領下に昭和22年11月14日には彰徳神社と改称しましたが、占領解除にともなう県戦没者合同慰霊祭臨時大祭斎行(昭和27年4月28日)を経て、昭和28年4月2日には栃木県護国神社と改復称しました。以後、昭和35年11月27日の戦没者合祀概了奉告臨時大祭のほか、終戦20周年(昭和40年)以降50周年(平成7年)まで10年ごとの臨時大祭に臨み、天皇陛下より幣帛料御下賜を受けています。また平成8年7月25日には、天皇・皇后両陛下の御親拝を頂く栄誉にも恵まれました。

栃木県遺族連合会は昭和26年12月8日に設立され、38年10に神社境内に護国会館を設立したほか、41年11月沖縄県摩文仁が丘に「栃木の塔」を建立、毎年慰霊祭を斎行しています。この他、遺族連合会や関東地区の護国神社などによる合同慰霊祭を、旧満州、東部ニューギニア、グアム、サイパン、フィリピン、ミャンマー、シベリア各地、パラオ、西部ニューギニア(以上実施順)で行ってきました。

当神社の例祭は、毎年4月28日です。この日には県内各地からの遺族数千名が、境内に参列します。また大東亜戦争終戦記念日である8月15日にも、栃木県戦没者合同慰霊祭が斎行されます。護国の森では、祖国と郷土のために身命を捧げられた郷土の先人に感謝し、国の隆昌と世界の共存共栄を祈る営みが続いております。


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